薬事は究極の「医の倫理」である

皆に知ってほしいGMP〈3〉

 「薬事は究極の医の倫理である」。

 民間企業の経験を経て、PMDAに入構したのが40代半ばであった。GMP査察官として数多くのGMP調査を行い管理職となると、今は亡き近藤達也理事長によく呼ばれた。いつも理事長室にはとても緊張して入る。出張が多いGMP調査部門は、出張先でいろいろな事件が起こる。特に海外はそうだ。例えば機密資料の置き忘れ、PCの盗難、諸事情による調査未完遂など、いわゆるリスク案件だ。そのたびに理事長に説明に行く。

 理事長はいつもフランクであるが、ある日、リスク案件の説明に行った際、この言葉を、私は故・近藤理事長から学んだ。薬事は究極の医の倫理である。最初に聞いたときは、少し大きな言葉のようにも感じた。特に「倫理」という言葉は日常使わなかったから、すぐに調べた。人が社会の中で、「何が正しいか・善いか」を判断し、その判断に基づいて自分の行動を自発的にコントロールするための規範や姿勢、なのである。確かにと思った。その後、医薬品に関わる仕事を続ける中で、その意味は少しずつ重く、深くなっていった。

 医の倫理というと、医師が診察室で一人の患者さんを前にして、医療として判断する場面を思い浮かべる。しかし、多くの患者さんに提供する医薬品に関わる倫理は、診察室の中だけにあるものではない。薬が開発され、承認され、製造され、流通し、患者さんに使われるまでの全ての過程にこの倫理は存在している。

 ここでいう薬事とは、単なる手続きではない。承認申請、変更管理、逸脱管理、製造販売後の安全対策、品質情報への対応、回収などなど。どれも書類上の処理に見えると思われる方がいるかもしれない。しかし、その一つ一つの判断の先には、薬を必要としている患者さんがいる。規制当局の指摘は重箱の隅をつつくものではなく、「何を優先するのか」という問いも含まれるべきである。会社の都合か、スケジュールか、コストか、それとも患者さんの安全か。

 この問いに正面から向き合うには、志が必要である。知識だけでは足りない。制度を知っているだけでも足りない。薬事の仕事は、時に面倒で、時間がかかり、関係者との調整も多い。それでも、やり遂げなければならない理由がある。

 PMDA時代、月曜の朝にファクスが届くことが時々あった。またか、と少し嫌な気分になる。週末の間に企業内の通報者が書いたものである。とても対応が難しい。真偽の判断。しかしワーストケースでの判断が求められる。今、何が必要か。この難しい数々の対応を当時の主任が見事に果たし、今や部長級となり、若手指導も行っている。あまり褒めるとよろしくないのでここまでとしたいが、引き続き、今後の日米MRA締結にも邁進してほしいし、規制当局として「何を優先するか」は絶えず心に留めて若手指導に励んでほしい。

 薬事の仕事は、きれいな理屈だけでは進まない。限られた情報の中で、何を確認し、誰に聞き、どこで判断するかを考えなければならない。迷うこともある。責任の重さに立ち止まることもある。

 それでも最後に戻るべき場所は一つである。患者さんにとってどうか。医薬品の品質、安全性、有効性を守るために、今、何をすべきか。

 薬事は、法律や規制を扱う仕事である。しかし、その本質は人を守ることにある。だからこそ、薬事は究極の医の倫理なのだと思う。

 GMPを学ぶ学生にも、このことを伝えたい。ルールは人を縛るためにあるのではない。人を守るためにある。薬事の判断は、書類の中で終わるものではない。患者さんの命と生活につながっている。その意識を持てるかどうかが、薬に関わる者の出発点である。


※e-GMPおよびGMPマインド講座についての詳細はホームページ(https://ptj.jiho.jp/eGMP/?utm_source=nk)をご参照ください。

 

【略歴】櫻井信豪(さくらい・しんごう)
・1985年 東京理科大大学院薬学研究科修了(薬剤師)
・1985年 製薬企業に勤務し、医薬品の研究・技術開発、品質管理、品質保証に携わる(19年間)
・2004年 医薬品医療機器総合機構(PMDA)にてGMP等の品質管理業務を担当(16年間)
・2020年 東京理科大薬学部薬学科医薬品等品質・GMP講座教授

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